2014年10月10日金曜日

9泊10日九州一周ツーリング7日目 遥かなる天草・島原でキリシタン弾圧の歴史に触れる。八代~天草~島原~雲仙

朝からいい天気です。
今日のプランニングは、天草から島原へと、日本のキリシタンの歴史を巡る旅。

神々のくに九州は、天孫降臨の地として神話が数多く残っています。
大分熊本宮崎と、そんな神にまつわる地を訪ねてきましたが、今日はそんな九州に根付くもう一つの神、キリストとキリスト教の弾圧の歴史の地を訪ねます。

八代から宇城へ。
快適なバイパス、熊本県道331号線


天草に向かって突き出た宇土半島八代海沿いに延びる国道266号線


八代海のすぐ横を走るの海抜の低い道。
海面がとても近く見えます。


天草に渡る前に立ち寄ったのは三角西港
世界文化遺産に登録申請している「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の構成遺構の一つ。
当時の石積埠頭や建物などがそのまま残っています。


ここからは天草五橋のひとつ目の橋が見えます。これからあの橋を渡って天草に渡るかと思うと、興奮します。
あまりにも遠いこの地に、しかもバイクで来ることなど一生無いと思っていたからです。





最初に一号橋を渡ります。
感動の天草入り。


ひとつ目の天門橋を渡って上天草にある天草四朗メモリアルホールへ。
マリア様の白いベールを模したユニークな外観の建物。
ここで天草四朗島原の乱についておさらいし、学生時代の錆ついた知識を蘇らせます。




天草五橋の二号橋から五号橋を一気に渡って天草島上島へ。




海岸沿いを走る国道324号線から、煙を上げる雲仙岳が見えます。


ロザリオラインと呼ばれる国道324号線は、またの名を有明タコ街道といいます。
有明海名物のタコを供する店が多い事で知られています。


ちょうど12時に道の駅 有明リップルランドを通りかかったので、ここでランチにしました。


名物のタコ天丼
ボリューム満点です。




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ループ橋の天草瀬戸大橋を渡って上島から下島へ。


国道266号はここから山間部を走ります。


1時間ほど走って海に抜けました。
朝8時に八代を出て、もう13時半。
いかに天草が大きく、遠いかがわかります。


羊角湾の入り組んだ地形。


天草にもちゃんぽんの食文化があります。
長崎のそれとは異なりますが、独特の美味しさ。
この店はEAT730という人気店。
当初はここで食べようかと考えていたのですが、連日ランチが遅かったので、今日は道の駅で12時に食べたという次第。


キリシタンの歴史を訪ねる今日のツーリング。
ようやく目指す天主堂に着きました。
穏やかな羊角湾を臨む崎津の漁村に建つこの崎津教会は、「海の天主堂」とも呼ばれています。
教会が建つ漁港一帯は、平成23年には「国の重要文化的景観」にも選ばれています。


小さな漁村の狭い路地を抜けた先に教会はあります。


明治以来3回の建て直しが行われた現在の教会は、昭和9年、ハルブ神父により創建されました。尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式です。


この教会は1569年(永禄12年)にアルメイダ神父により創建され、ここを中心にキリスト教は天草で栄えました。
しかし1638年(寛永15年)に禁教令が天草で実施されてから、特にこの崎津では厳しい弾圧の嵐が吹き荒れました。
正面の祭壇がある場所は、禁教時代に厳しい踏絵が行われ、激しい弾圧を受けながらも240年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰が守られてきました。


中に入ると、堂内は畳敷きになっています。
日本の田舎の習俗と混合したユニークな信仰形態と言えるでしょう。
厳しい弾圧の歴史に思いを馳せました。



崎津教会からバイクで10分ほど北に行くと、小高い丘の上に天主堂が見えて来ます。


大江教会


天草での伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父が、昭和8年、地元住民と協力して建てた白亜の教会です。
キリスト教復興の象徴的存在。


ロマネスク建築で、広く高い天井の聖堂の内部もステンドグラスも優美な色使いで、厳粛な気持ちになると同時に、とても優しい気持ちになります。



今日は島原まで渡らなくてはなりません。
1時間に一本のフェリーに乗り遅れないように、国道389号線、通称サンセットラインを北へ向かいます。

途中にある妙見浦から北に延びる断崖絶壁と奇岩の数々。


夕暮れ時ならさぞ美しいことでしょうが、夕日を待っていては雲仙に辿りつけません。


島原半島も左手に見えてきました。


無事、16時のフェリーに間に合う時間に鬼池港に着きました。


チケットを買って並びます。


乗船。


30分の船旅ですが、熊本県から長崎県へ。


駆け足での天草の旅。
とても感慨深いものとなりました。
いつかまた来れる日が来るだろうか、と思いながら離れていく島影を見つめました。




船首側に目を向けると、島原半島と雲仙岳が近づいてきます。


天草から乗ったフェリーは30分で南島原口之津港へ。


もう一か所ここで見ておきたい場所がありますので、ハンドルをそちらに向けます。




原城跡


島原湾天草を臨むこの場所は、島原の乱終焉の地。


この小高い丘がかつての城跡。


1637年(寛永14年)に勃発した島原の乱は、天草の群衆も合流し、3万7千人もの一揆軍が1638年(寛永15年)に廃城となっていた原城に立てこもります。
率いていたのは、16歳とも18歳とも言われる天草四朗


3か月に及ぶ籠城に、一揆側は弾薬・兵糧が尽き果てます。
対する幕府軍も1千人の戦死者を出しながらも新手を投入し、ついに総攻撃で一揆軍を壊滅させました。
一揆軍は老人や女子供に至るまで一人残らず皆殺しにされたといいます。
殉教を重んずるキリシタンの信仰ゆえに全員が喜んで死を受け入れた、と幕府軍の総大将であった松平輝綱は『島原天草日記』に記しています。


果たして本当に喜んで死を受け入れたのか、その皆殺しが正義のもとに行われ事であったとしても、正しかったことなのどうかは疑問ですが、尊い多数の命が失われたことは事実。
乱の終結後、幕府軍は原城を徹底的に破壊し、殺された一揆軍3万7千人の遺体は廃墟となった原城の敷地内にまとめて埋められました。


今はただ、有明海からの風が、この丘に吹きつけるばかりです。
今日一日の私のキリシタンの歴史の旅も、ここで幕を閉じました。




日が暮れてきました。
今日の宿がある雲仙へと急ぎます。


雲仙まで急な山道を登ります。


美しい棚田。
振り返れば遠くに天草が見えます。


宿には18時過ぎに着きました。


ゆっくり温泉に浸かって一日の疲れをとります。


お一人様の格安プランの私の晩ご飯は宴会場に用意されていました。
豚しゃぶメガ盛りプラン


豚肉は300g。
ちょっと食べきれないかもしれません。


生ビールを頼みました。
一日中バイクで200キロ走って、温泉に浸かった後だけに格別の味。


本日のお献立。


出汁が煮立ってきたところでしゃぶしゃぶを始めます。


ご飯はお米から炊く方式。
お味噌汁も温めます。
豚しゃぶを大分食べたところで火をつけてもらいました。


お酒を飲むことにしました。
九州ですから、やっぱり焼酎。
白岳のロックにしました。
まだ、熊本の余韻が自分の中にあります。


先ほど火をつけてもらったお釜も湯気を吹き始めました。


そこへ、まだ料理が出てきます。
じゃがいもの石垣


ご飯が炊きあがりました。
これは美味しそうです。


そこへ追い打ちをかけるように〆の素麺が出てきました。
「お代わりは自由ですから、どうぞ」
と言われても、初回の素麺すら食べられそうにありません。


デザートはミルクプリン
本当にもう何も入りません。


食後にもう一回温泉に浸かりそのままダウンしました。

本日の走行距離:204.6km 
累積走行距離:1,275.1Km

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