身体がシャキッとしたところで朝ご飯です。
温泉宿らしいボリューム満点のお料理。
旅館のすぐ近くが雲仙地獄でしたので、食後の散歩を兼ねて見学に出かけました。
浴衣に羽織姿でバイクシューズといういでたち。
荒涼とした地獄が広がっています。
全部で30か所ほどあるそうです。
お糸地獄。
大叫喚地獄。
邪見地獄。
温泉玉子も気になりましたが、朝ご飯がボリューム満点だったので、入る余地はありません。
宿に戻ってもう一回お風呂に入り、出発したのは10時。
チェックアウトタイムギリギリでした。
仁田峠循環道路の急な道を上っていきます。
仁田峠の第ニ展望所。
猛烈な風が有明海から吹き付けて、飛ばされそうなくらいです。
昨日走った天草も見えます。
雲仙岳。
駐車場に戻ったら、バイクが風で倒れていました。
こんなことは初めてです。
橘湾が見えます。
諫早ICから長崎自動車道に入りました。
大村湾PAから見える大村湾。
更に高速を走って、これから人生で初めて佐賀県に足跡を残します。
そろそろランチタイム。
佐賀市の金立サービスエリアにバイクを止めました。
レストランで地元の名物を頂くことにします。
迷った末に注文したのは貝汁セット。
有明海のあさりがたっぷり入った貝汁。
呼子のイカを使ったいかしゅうまい。
ゆっくり時間をかけて頂きました。
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すぐ次の東脊振ICで下りて、吉野ヶ里遺跡に向かいます。
紀元前3世紀から紀元後3世紀までの弥生時代は、日本で稲作の文化が始まり、定住文化が根付いた日本の文化の原点ともいえる時代です。
弥生時代の遺跡の中でも吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡の旧神埼町・旧三田川町・旧東脊振村の3つの町村にまたがった我が国最大の遺跡で、弥生時代における 「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代600年間の移り変わりを知るこ とができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。
南内郭。
吉野ヶ里が最盛期を迎えた頃、吉野ヶ里の集落をはじめ、周りのムラを治めていた王やリーダー層の人々が住んでいた場所と考えられています。
南内郭の居住者達は祭司者的性格を持ち、かつ政治・行政を司った者たちであったと想定されます。
倉と市。
海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まった、吉野ヶ里を支える重要な場所であると考えられています。
甕棺墓列。
甕棺[かめかん]とは北部九州に特有の棺のことです。
大型の素焼きの土器に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法で、弥生時代中頃 のおよそ200年の間、盛んに使われていたようです。
中でも、墳丘墓の北側には、真ん中に道(お参りするための道であるとも、左右に埋められている人々の身分の違いを表すための 区別の線とも考えられている)が設けられていて、その両側に全部で2,000基を超す甕棺が長さ600mにわたって整然と並べられています。
亡くなった人に対する当時の人々の想いを偲ぶことができます。
北内郭。
吉野ヶ里集落だけでなく、吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって最も重要な場所であったと考えられています。
田植えや稲刈りの日取りを決めたり、季節ごと のお祭りの日を決めたり、また大きな「市」を開く日取りを決めるなど、吉野ヶ里を中心とするクニ全体の重要な物事についての儀礼的な話し合いと祖先への祀 りが行われていた場所と考えられています。
日本の様子を記した最古の記録である魏志倭人伝に出てくる「邪馬台国」の時代を彷彿とさせるひと時のタイムスリップ。
もっと見たかったのですが、今日はもう一か所、筑豊で寄りたいところがあるので、再びバイクに跨りました。
再び東脊振ICから長崎自動車道を鳥栖方面へ。
長崎自動車道を鳥栖ICで下ります。
国道200号線冷水道路は交通量の多いバイパス。
有料区間の終点を通過しました。
峠を越えると、そこは筑豊盆地です。
峠を越えると、そこは筑豊盆地です。
筑豊地方最大の炭鉱であった三井田川鉱業所伊田坑の跡地に1983年オープンした、かつて日本のエネルギーを支えた筑豊炭田の石炭産業に関する資料を展示した石炭鉱業史の専門館です。
先月長崎の軍艦島を訪れ大変感銘を受けましたが、 元々ヤマの男たちの暮らしにはすごく興味がありました。
少年時代に読んだ「青春の門」の影響かもしれません。
途中で渋滞に巻き込まれ、博物館に着いた時には入館締め切りの17時を少し回っていましたが、頼み込んで入れてもらいました。
30分しか見る時間はありません。
筑豊地区の石炭の生成の地質学的な解説から始まり、原始的な採掘から近代的な採掘までの、炭鉱で使われた道具や機械類の変遷を展示解説しています。
今の子どもたちは見たこともないであろう石炭製品。
屋外展示スペースには実際に炭坑での作業に使われた電気機関車やトロッコ、炭坑用機械などが展示され、当時の炭鉱夫が暮らした標準的な炭鉱住宅が再現されています。
2階の展示室に収蔵されている絵画がとても興味深いものでした。
実際の炭坑労働者だった山本作兵衛氏の作品で、2011年ユネスコにより日本で初めてユネスコ記憶遺産(世界の記憶)に登録されました。
炭鉱で働く人達の習俗や、当時の作業の様子などが、実によく描写されていて、当時の様子が想像できます。
なんとか閉館の17時半までに駆け足で見て回りました。
施設の外は公園になっていて、炭鉱当時の施設が保存されています。
伊田竪坑櫓。
三井田川炭鉱の二本煙突。
筑豊地区で使われた蒸気機関車9600形(59684)と貨車(石炭車)1両。
すっかり日が暮れました。
ここから小倉までは、まだ1時間以上かかります。
今日もまた暗くなってからのチェックインになりそうです。
小倉の宿にチェックインし、シャワーを浴びてから小倉駅そばの繁華街へ。
駅からほど近いところにある焼鳥かんぐん。
カウンターと小上がりだけの小さな店は満員。
地元のお客さんで賑わっています。
私のような旅人は完全にアウェイな感じですが、そこはB級グルメを自負する私ですから臆することはありません。
幸いカウンターに一席だけ空いていましたので、そこへ座らせてもらいました。
とにかく鳥皮が安くて旨いとの評判です。
なんと一本30円 !
まずは生ビール。
突き出しはポテサラ。
これが、いきなりの旨さ。
ポテサラの旨い店は間違いないという自説に従えば、この店はかなりイケるはず。
焼鳥を頼んだ後、ホワイトボードに書かれた刺身を物色。
イワシ刺を頼みました。
鮮度のいいイワシ刺が出てきました。
外観や内装からは想像つかない、なかなかの実力店です。
地元客で賑わっているのも頷けます。
焼鳥が、お皿の上に野菜と一緒にのって出てきました。
ちょっと意外なプレゼンテーション。
皮も焼けました。
焼酎に切り替えます。
お店の名前と同じかんぐんをロックで。
お会計は2,390円。
店員さんたちは大将以外は皆女性。
とても感じの良い接客でした。
まだまだ食べたかったのですが、もう一軒行くつもりなので、ここで打ち止めにします。
繁華街の中を歩いて向かったのは、鉄板焼 沢。
飲食店ビルの一階の奥まった所にありますが、小倉では知られた鉄板焼の店。
そして今やご当地B級グルメに成長した小倉焼きうどんの人気店でもあります。
もちろん福岡県ですから、美味しい豚骨ラーメンの店もたくさんありますが、今回はあえて焼きうどんにしました。
二軒目ですので、ビールではなくハイボールからスタート。
なかなか良い雰囲気の店で、店員の接客も感じが良いので、いきなり焼きうどんももったいなかな、と一品頼むことにしました。
ちょっとヘルシーにとうふ鉄板。
620円です。
芋のロックにしました。
焼きうどんも発注。
鉄板に乗って出て来ました。
味付けは醤油ベース。
先ほどの豆腐ステーキと同じでしょうか。
少しにんにくの風味も感じます。
その店独自の美味しさがあるのです。
大満足の小倉の夜となりました。
タクシーを拾って宿へ戻ります。
コンビニで買った寝酒で仕上げ。
本当は久留米に泊って、屋台の焼鳥と久留米ラーメンを食べたかったのですが、明日の台風接近に備え、フェリーの出る新門司港に近い小倉に宿を取りました。
しかし、結果的には大満足。
明日はチェックアウトギリギリまで寝るつもりです。
台風19号の動きが気になりますが、今夜はゆっくり旅の思い出に浸りながら一杯飲むことにします。
本日の走行距離:244.0km
累積走行距離:1519.1Km
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