身体のサイクルもすっかりツーリング時間に馴染んだようです。
まずは宿の大浴場で朝風呂。
公式HPより |
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風呂から上がって朝食バイキング。
1階にある和海(なごみ)というレストランが会場です。
バラエティ豊かな品ぞろえ。
おでんや山菜そばもありました。
もちろん好物なので頂きます。
散らし寿司もあって、選択に迷うラインナップでしたが、今日はあまり取り過ぎないようにしたつもりです。
エネルギーチャージも完了。
今日もいい天気で、楽しいツーリングになりそうです。
宿を出て、氷見駅に寄りました。
ここも、昨日立ち寄った穴水駅同様、私の好きな終着駅なのです。
高岡から来る氷見線の終点。
さびれたホームと雑草の生えた線路が、車社会に飲み込まれた鉄道の哀愁を漂わせています。
平日の朝とあって、通勤の車で混雑する国道160号線から二上山万葉ラインに入ります。
この道は地元ライダー御用達のワインディングロード。
一気に山を駆け上がれば、富山平野が眼下に広がります。
反対側は富山湾。
天然の生簀です。
山を下りると射水市。
私の行きつけの居酒屋、東天満の美尋のマスターの出身地。
今回のツーリングでは、彼のアドバイスが大変参考になりました。
新湊には内川という多くの橋が架かる川があります。
新湊12橋と言われる橋のひとつに、屋根のついた橋があります。
東橋(あずまばし)といって、ベンガラに塗られたこの橋は周囲の家並みにもよく調和しています。
美尋のマスターの生家の近く。
スペインの建築家セザール・ポルテラ氏が設計した、全国でも珍しい歩行者専用の切妻屋根付き橋です。
橋の両端には、ガラス張りでベンチを備えた休憩室があり、屋根には太陽と月をかたどった風見鶏がつけられています。
「射水のマディソン郡の橋」と呼ぶ人もいるそうですが、それはちょっと言い過ぎかもしれません。
美しい曲線を描く新湊大橋が見えます。
日本海を警備する頼もしい海上保安庁の巡視船も停泊しています。
帆船海王丸は、商船学校の練習船として誕生した帆船です。
昭和5年2月14日に進水して以来、59年余の間に106万海里(地球約50週)を航海し、11,190名もの海の若人を育てました。
海王丸パークでは、この海王丸を現役中の姿そのままで公開しています。
開館直後、しかも平日なので私が一番乗り。
前部航海船橋。
操舵室。
沿岸航海訓練や入出港する場合などエンジンで走る際に船を操縦する場所です。
訓練生宿泊室は定員が8名の狭い部屋です。
現在は海洋教室に参加する子供達の宿泊室としても利用されています。
機関室。
入出港の時などにエンジンを使います。
船の心臓部でエンジンや発電機などがある場所です。
調理室。
調理専門の乗組員10人ほどで、航海中は一日4回、約200人分の食事を用意していました。
船長公室。
船長がお客様と面会したり、航海士から報告を受けたり、会議を行う部屋です。
士官たちが食事や会議をする部屋です。
タイムベル。
叩く回数で船内に時を知らせました。建造時のもので、毎日訓練生の手で磨かれ刻印も見れなくなっています。
海王丸の誕生日は2月14日のバレンタインデー。
大切な人と鐘を叩くと良いことがあるかもしれないということで、桂由美の「恋人の聖地」にもなっています。
私も全国のツーリングで、ずいぶんこの「恋人の聖地」に出会いました。
舵輪(だりん)。
帆走中は帆の状態を見ながら舵をとります。そのため船の最後尾に舵が置かれています。
乗り物好きの私は、じっくりと見学したので1時間半も滞在してしまいました。
これから新湊大橋を渡ります。
総延長はアーチ部分も含めて3.6km、橋を支える主塔の高さは127m、海上に架かる主体部分が600m。
斜張橋としては日本海側最大級。
新湊の海王丸パークから一路北東へ。
海岸沿いに一般道を走りながら、富山・新潟県境を目指します。
このあたりの名物のたら汁を売る店が立ち並んでいます。
前方に北アルプス山脈が海まで迫っているのが見えます。
この先に、かつて北陸道最大の難所として通行が困難を極めた親不知があります。
この先に、かつて北陸道最大の難所として通行が困難を極めた親不知があります。
糸魚川市。
新潟県に入りました。
新潟県に入りました。
県境を流れる大平川。
今日のランチはここで名物のたら汁を食べようという計画。
しかしモツ煮込も併記されていて、急に心がぐらついて来ました。
道の駅とはいいながら、コンビニライク。
それもそのはず。
店舗はヤマザキショップなのです。
レジの横から食堂に繋がっています。
たら汁定食、と決めて来たのですが、ベストメニューランキングを見ると、入口の看板に書かれていた通り、日本一うまいモツ煮込み定食とたら汁定食がワンツーフィニッシュ。
悩んだ末にランキング1位のモツ煮込み定食に7位のたら汁単品を組み合わせることにしました。
厨房には地元のおばさんたちが三人働いています。
食券の半券を渡して、テーブル席で待ちます。
お店はトラック野郎や地元客でそれなりの賑わい。
地元客同士の社交場にもなっています。
なんともほのぼのとしたロードサイド大衆食堂といった風情。
料理が出てくるのを待ちながら、卓上のメニューを眺めます。
きっとどの料理も家庭的で美味しいのだろう、と想像できます。
7、8分待って出て来ました。
完全に失敗です。
頼み過ぎました。
絶対食べられそうにありません。
ちょうど一年前、阿蘇で高菜ご飯とだご汁とモツ煮込みを頼んで大失敗したときの再現となりました。
たら汁は単品だから小さいだろうというのは、私の都合のいい勘違い。
モツ煮込みも半端ない量です。
当たり前ですが、ご飯はデフォルト大盛りのトラック野郎仕様。
地元新潟の新米ご飯。
グズグズ言っていても仕方ありません。
まずはモツ煮込みから取り掛かります。
たっぷりと七味を振って。
もちろんオン・ザ・ライス。
味噌にモツの濃厚なエキスが滲み出て抜群に旨い!
一方のご当地名物たら汁。
小ぶりとはいえタラが丸ごと一尾入っています。
まずは頭に着手。
目玉や頬など、一番旨い所から。
ゴボウと葱が入った素朴な郷土料理。
こちらも味噌仕立てですが、これまたタラの旨味が滲み出して、実に旨い汁。
こうなったら「汁かけ」という禁断の技で。
もちろんモツ煮込みも「汁かけ」で。
食べても食べても減らないタラが恨めしく思える贅沢な話。
最後はぶっかけ飯。
40分近い大相撲となりましたが、なんとか寄り切りました。
汁を完飲できなかったのが、悔やまれます。
バイクに跨れないくらいお腹がパンパンです。
ここから先が断崖絶壁が続く親不知。
江戸期以前、多くの旅人の命を奪った北陸道最大の難所です。
国道8号線は親不知の断崖絶壁のどてっ腹をくり貫いた洞門の中を急カーブで進みます。
連続する洞門を抜けた所にある駐車場にバイクを止めて、今は見学用の遊歩道になっている旧道へ向かいます。
その先に海に突き出している高架橋は北陸自動車道です。
現代の建築技術をもってしても、これほどの大工事でないと通り抜けられない難所。
私は小学生の頃、教科書か図鑑でこの場所を知り、その名前の由来と、恐ろしい断崖絶壁の写真に、いつか訪れてこの目で見てみたいと思っていました。
ここは飛騨山脈(北アルプス)の日本海側の端に当たります。
断崖は飛騨山脈の北端が日本海によって侵食されたために生まれたもので、約15km程の区間。
今から八百年前の源平盛衰の昔、越後の五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた平頼盛の後を追って、奥方は京都から越後国を目指して、この難所に差し掛かかりました。
しかし、その際に、連れていた子供が波にさらわれてしまい、その時、次の歌を詠みました。
親知らず 子はこの浦の波まくら
越路の磯のあわと消えゆく
以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになりました。
この難所にも大懐・子懐や大穴・小穴と呼ばれる天然の避難所があります。
大懐から大穴までは、親不知中最も危険なところであり、走り抜けないと波にさらわれることから、長走りと呼ばれています。
また、小穴を過ぎると、絶壁に「南無金剛遍照」と刻まれてあり、ここから西は、走り込みと呼ばれ、ここまで来ればもう安心といわれました。
今は遊歩道となっている明治16年に開削された旧道に沿って歩いてみます。
この道は、昭和41年に国道8号線天険トンネルが完成するまでは現役で使われていました。
途中の岩盤に「如砥如矢」(とのごとく やのごとし)という文字が彫られています。
ここは、親不知で最も通行が困難な「天険」の真上、高さ約80mの崖の上です。
かつて旅人たちは、波打ち際を通る当時の北陸道を命がけで通行していました。
絶壁を人力で切り拓いてこの道が完成したのは1883(明治16)年。
その喜びを岸壁に刻んで表したのが「如砥如矢」です。
砥石のように滑らかで、矢のようにまっすぐであるという意味で、この工事に力を尽くした青海(現糸魚川市)の人、富岳磯平の書と言われています。
悲しい歴史や、先人のたゆまぬ努力などの歴史探訪になると、ついついじっくり見てしまうのが私の癖。
いつの間にか時計は15時。
これから更に東に足を伸ばす時間はありません。
近くのビジターセンターの風呂が眺めが良いと聞いてひと風呂浴びて帰ることにしました。
親不知交流センターまるたん坊。
浴室の窓からは親不知の海が見えます。
今日は天気も良く、穏やかです。
市町村合併によって、予算も回らなくなり、親不知のことは人々の記憶から消えていくだろうと寂しそうに語っていたのが印象的でした。
「みんな高速をトンネルで通り抜けていくし、親不知インターっていう名前を聞いても、それが何なのかわからないでしょうね」
既に、親不知の歴史遺産としての記憶は、確実に風化を始めているというのが、実際に訪れた私の印象です。
私も、富山への帰路は親不知インターから北陸道へ。
親不知の険しい崖を見ることも無く、長いトンネルを潜り抜けました。
糸魚川の親不知から帰って、今日は富山市内の富山マンテンホテルにチェックイン。
今回の北陸ツーリングで初めての連泊予定です。
旅の荷物を解いて、大浴場でさっぱり。
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ホテルで貰った路面電車の無料券を使って富山駅に向かいます。
北陸新幹線開業ですっかり綺麗になった富山駅。
駅の反対側が繁華街になっています。
路地を進んで辿り着いたのが、今宵の店。
大衆酒場親爺。
信頼できる東京の飲み友達、Kさんの紹介です。
かろうじてカウンターに一席空いていました。
二階席もあるようですが、大入り満員、活気のある店内です。
とりあえずビール。
お隣の先客が赤星を飲んでいたので、私も生ではなく、サッポロの瓶を。
突出しはなめこおろし。
ビールを飲みながら、組み立てを考えます。
この時間が、酒飲みには一番楽しい。
まずは黒板をチェック。
それから本日の一品をチェックします。
定番も見ておかないといけません。
残念ながら、 まだランチが未消化のため、吟味が必要です。
イメージが湧いてきました。
富山と言えば、しろえび刺身。
ちょっと醤油を垂らして。
ねっとりした食感と甘味が旨い。
もちろん、これもマストアイテム。
ホタルイカ沖漬け。
ホタルイカ沖漬けは絶妙の味加減。
プリットした歯ごたえと、仄かな苦味が抜群です。
ご飯が欲しくなります。
純米酒若駒。
南砺の若駒酒造場という老舗の小さな酒蔵の手によるもの。
時節もののひやおろし。
可愛いお嬢さんに注いでもらって、いい気分です。
もちろん、富山の酒ですから、富山湾のしろえび、ホタルイカと合わないわけがありません。
更に合いそうなものを頼むことにしました。
あおりいかの刺身です。
生姜をのせて。
適度な歯ごたえと、柔らかさが共存しています。
実に美味。
ひやおろしを続けます。
純米原酒八王。
八尾町にある福鶴酒造による富山県産100%の米で仕込んだ純米原酒です。
がんどかまを焼いてもらいました。
昨夜寿司で食べたがんどぶりのかま。
実にいい焼き加減。
香ばしい香りです。
食べる所がたっぷり。
がんどは成長魚ぶりの一つ前の段階。
脂はぶりほどではないので、身の旨味を感じます。
げんげ汁を飲みたかったけれど、〆の富山ブラックラーメンに備えて涙を飲んで我慢しました。
ゆっくり飲んでつまんで1時間半。
素晴らしい居酒屋との出会いでした。
ひっきりなしにお客さんが店を覗きますが、満席で断るのは店名の由来となっている、その親爺。
板場は睥睨するのみで、仕切るのは息子。
奥さんはおでん回りを見ています。
ホール係はアルバイト。
温かい家族経営ですが、地元客に混じって出張族も多いようです。
北陸新幹線の影響でしょうか。
「明日も、もし入れたらしっかり食べたいな」
と思う素晴らしいお店でした。
素晴らしい居酒屋親爺との出会いの余韻のまま、締めに向かいます。
大阪では、バーで仕上げることはあっても、ラーメンで締めることは、炭水化物ダイエット実行中(のつもり)の私には禁じ手。
しかし、今日は旅先。
しかも、富山。
ここで、富山ブラックラーメンを食べずに宿に帰るなど考えられません。
富山駅近くの人気ラーメン店の一つをセレクトしました。
ラーメン一心。
煮玉子にこだわる店。
店内には富山ブラックと書かれた大きな看板。
無化調、天然素材にもこだわりがあるようです。
定番の黄金煮玉子ラーメンを頼みました。
これが自慢の煮玉子。
確かに見事な黄身の色と半熟加減です。
富山ブラックとはいいながら、魚粉の香りを感じる和風豚骨醤油魚介のアプローチ。
小麦粉にもこだわった自家製麺は細番手の軽い縮れ麺。
スープとの絡みも良好です。
もちろん完飲。
一般的な醤油辛い富山ブラックとは明らかに一線を画すラーメンでした。
久しぶりの締めラーメンですが、旅先ですから背徳感よりも満足感が勝ります。
再び路面電車に乗って、ホテルに戻りました。
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