ところが、連日の猛暑で熱中症の危険すらある気温ですが、水分補給に気を付けるようにして朝7時過ぎに家を出ました。
最初の目的地は竹生島。
琵琶湖汽船の今津港から船で30分ほどのクルージングです。
思ったよりも早く着いたので、9時40分の始発までだいぶ時間があります。
まずは切符を購入。
今津と竹生島の往復券。
桟橋には船が係留されていました。
たもとには「琵琶湖周航の歌」の記念碑が。
多くの有名な歌手にも歌われたあの名曲の誕生の地が、ここ今津であったことを初めて知りました。
気温がグングン上がってきました。
案内に従い、乗船します。
湖ですから、水面はとても静か。
天気が良くて湿度が高いと、空気が白く見えると天気予報で言っていたのを思い出しました。
琵琶湖最北端の岬が見えます。
島が近づいてきました。
島の周辺は深く、西側付近は琵琶湖最深部 (104.1m) です。
古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われていました。
長浜市に属する周囲2キロの小さな島は、断崖絶壁に囲まれています。
全島が針葉樹で覆われており、琵琶湖八景(深緑)のひとつにも数えられています。
いよいよ着岸。
上陸します。
寺社関係者や売店の従業員はいずれも島外から通っているため、本来は無人島なのだとか。
ここにも「琵琶湖周航の歌の碑」がありました。
もちろん竹生島の節。
琵琶湖八景の碑。
「深緑竹生島の沈影」とあります。
島に入るには、別途拝観料が必要です。
目の前に長い階段が迫っています。
「祈りの階段」と呼ばれる165段の石段が続いています。
さすがにこの暑さですから、一気に汗が噴き出してきます。
階段を登り切ったところが、宝厳寺本堂。
神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より
「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」
というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
宝厳寺本堂の中にびっしりと並ぶ「弁天様の幸せ願いダルマ」。
かわいらしいダルマは全て手作りで、500円の奉納料を払い、中に願い事を書いた紙を収め、奉納します。
本堂から更に階段を上がると、そこには三重塔と宝物殿があります。
江戸時代初期に焼失したと言われ、約350年ぶりに復元されました。
宝物殿には当山に伝わる、数々の寺宝を収蔵、保存。
有料で一般公開しています。
眼下に広がる美しい琵琶湖。
霞んでいなければ比良山系を望むことができたでしょう。
急な階段を下りて、今度は竹生島神社に向かいます。
神社に行くには宝厳寺の唐門と呼ばれる門をくぐります。
「唐門」とは、唐破風をもつ門という意味です。
この「唐門」は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた「極楽門」を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。
豪華絢爛と言われた桃山様式の「唐門」の代表的遺構ですが、あいにく改修中でした。
入口には仏様が鎮座されています。
手を触れてご利益を賜ることは可能ですが、古くて壊れやすいのでそっと触ります。
唐門に続いて千手観世音菩薩を納めた観音堂があります。
西国三十三所の第三十番の札所で、重要文化財に指定されています。
観音堂でお参りし、更に奥へと進みます。
竹生島神社に続くこの渡廊が舟廊下と呼ばれる国宝です。
豊臣秀吉の御座船を再利用したといわれる「船廊下」は、やはり重要文化財。
竹生島神社本殿。
今から450年前、豊臣秀吉が寄進した伏見桃山城の束力使殿を移転したもので、国宝となっています。
本殿内部は桃山時代を代表する、優雅できらびやかな装飾が施されています。
竹生島神社の御祭神は市杵島比売命(いちきしまひめのみこと・弁財天)、宇賀福神(うがふくじん)、浅井比売命(あざいひめのみこと・産土神)、龍神(りゅうじん)の四柱。
湖に向かって断崖の上に建つ龍神拝所。
琵琶湖を望む断崖上にあるこの拝所から、土器を湖に投げると願いが竜神により成就されるとする「かわらけ投げ」という風習が残っています。
一回300円。
せっかくですからチャレンジしましたが、二投とも失敗。
でも、しっかり祈願したので願いは叶うでしょう。
先程渡った舟廊下の下部は清水の舞台のようになっています。
急な斜面に建てるための工夫です。
ジェットスキーを楽しむグループ。
涼しげで気持ちよさそうです。
船が入ってきました。
再び今津港に戻ります。
気温は相当高くなっています。
ペットボトルの水はすでに2本空けました。
今津から15分ほど北に行くと、マキノ高原にメタセコイア並木道があります。
深い緑の美しい並木道。
約2.5kmにわたって植えられた500本ものメタセコイヤによって形成された並木です。
まさにバイク野郎のためにあるような道。
往復走りました。
若狭街道(国道303号線)を走り、滋賀県から福井県へ。
数ある鯖街道の中でも、一番メインのルートです。
若狭と京を結ぶ街道はいくつかありますが、熊川・朽木経由の「若狭街道」こそが、鯖の輸送量の多い「鯖街道」の名に最も相応しい道であったことは確かです。
福井県境を超えてほどなくの所にある熊川宿。
江戸時代を通じて近江国境に接する宿場町として大いに繁栄していきました。
江戸時代初期から中期にかけて、熊川宿の戸数は200戸を越えていたようですが、現在では100戸ほどになっています。
時計は、もう13時を回っています。
そろそろお昼ご飯を食べましょう。
鯖街道に沿って、小浜港にある人気大衆食堂を目指します。
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