新宮市内を走っていると、正面の山の中腹に神社が見えました。
神倉神社です。
山上の巨岩群に熊野の神が舞い降りたとされる伝説の地。
こんなに高いところにあるとは知らず、二年前に新宮に来た時に上ってみたら、538段の石段を登ることになり、ヘトヘトになったことを思い出しました。
那智勝浦新宮道路で新宮から約30分。
勝浦の美しい海が見えて来ました。
二年ぶりの勝浦漁港。
潮の香りが鼻をくすぐります。
朝市開始の8時きっかりに到着です。
朝市とはいっても、漁港の荷捌き所ですから規模は小さいもの。お店も、お祭りの屋台的なゆるい感じ。
9時半からまぐろの解体ショーがあるとの告知。
今日も予定は目白押しなので、そこまでここにいることは出来ません。
釜揚げそぼろが入ったまぐろそぼろめし(500円)。
まずは、これをいきましょう。
まずは、これをいきましょう。
まぐろカマ焼。
驚きの500円です。
これもいっちゃいましょう。
うしお汁(200円)も、いっちゃいましょう。
生マグロを売る店がありました。
お寿司や丼も提供しています。
さすがに丼というわけにはいきませんが、鮪にぎり3種盛りならいけそうです。
いや、いきましょう。
すぐにはできないので、番号札を渡されます。
潮の香りとともに、漁港で食べるまぐろ尽くしの朝ご飯。
素晴らしいチョイスだった、と自画自賛。
生きてて良かった、と実感します。
まぐろそぼろがふんだんに入ったまぐろそぼろめし。
お醤油味も香ばしい。
巨大なまぐろカマ焼。
脂がのっています。
相当食べ応えがありそう。
うしお汁はまぐろのすり身が入っています。
汁マニアの私も納得。
お寿司が出来たと私の番号が呼ばれたので、引取りに。
旨い!!
朝から爆食。
ランチはいらない感じです。
贅沢な朝ご飯を堪能した後、今日最初の目的地、太地町立くじらの博物館に向かいます。
勝浦漁港の朝市で素晴らしいマグロ尽くしの朝ご飯を食べた後、バイクで15分ほど走って太地町へ来ました。
大きな船が展示されています。
往年の捕鯨船でしょうか。
目的地は太地町立くじらの博物館。
館内に入ると、大ホールには、太地の伝統的な捕鯨方法「古式捕鯨」を再現したジオラマが広がります。
吹き抜け部分には、セミクジラやシャチなどの実物全身骨格標本が吊り下げ展示されていて、その迫力に圧倒されます。
世界の海に80種類以上いるといわれるクジラたち。
哺乳類でありながら、水中生活を行うクジラの生態はいまだ多くの謎に包まれています。
ここでは骨格標本や液浸標本などクジラの生態に関する様々な資料を見ることが出来ます。
国際的に孤立している日本の捕鯨に関する主張。
私は、捕鯨活動の現在の大幅な規制には反対ですが、その賛否の論点が国際的に噛み合っていない気がしてなりません。
イルカの追い込み漁に関しては、シーシェパードなど過激な集団の漁民に対する違法行為などが行われており、緊張が高まっています。
一方、世界動物園水族館協会(WAZA)は、この漁への反対の立場を表明、2015年WAZA が、和歌山県太地町で行う追い込み漁からの小型鯨類を取得したことを理由に、日本動物園水族館協会(JAZA)を会員資格停止の処分としました。
一方、世界動物園水族館協会(WAZA)は、この漁への反対の立場を表明、2015年WAZA が、和歌山県太地町で行う追い込み漁からの小型鯨類を取得したことを理由に、日本動物園水族館協会(JAZA)を会員資格停止の処分としました。
この処分を受けたJAZAが、追い込み漁からのイルカの取得を断念、しかし、ここ太地町立水族館はこれを不服としてJAZAを今月4日に退会したのは記憶に新しいところです。
施設の屋上からの眺め。
天然の入江を活かした、自然のプールでイルカやクジラが飼育されています。
観光客もまばらで、なんとものどか。
このショーの魅力は、冒頭5分ほどの時間を割いて、イルカの生態や身体的特徴などを、学術的観点からわかりやすく説明することです。
レジャー施設がアトラクション一辺倒なのに対し、水族館らしいアプローチで好感が持てました。
もちろんショーも楽しい。
次のクジラのショーまでの間、自然プールに行ってみました。
クジラがのんびりと泳いでいます。
桟橋を歩いて、この先のイルカのプールまで行くことができます。
有料でエサやりが出来ます。
餌を求めて寄ってくるイルカが可愛い。
何とも、愛くるしい。
ここには白いハナゴンドウが2頭います。
目が黒く、体表に多少の黒色部位があることからアルビノではなく白変種であると考えられています。
クジラショーの時間となりました。
会場に向かいます。
自然の入江を仕切って作られた自然プールの一角で行われます。
美しい自然を背景に、世界でも珍しいゴンドウクジラだけのショーが楽しめます。
コビレゴンドウ、オキゴンドウ、ハナゴンドウの三種類。
もちろん、クジラショーの時も、イルカショー同様、きちんと生態や特徴を教えてくれるお勉強の時間があります。
トレーナーを頭に乗せてスイスイ。
クジラの方がサイズが大きいだけに、ジャンプも迫力があります。
ハイジャンプも豪快に決めてくれました。
ショーが終わった後、エサやりタイム。
クジラに餌をやるのが間近で見れるのも、この田舎の水族館だからこそ。
女性客からは「かわいい~」の声。
国際世論は、イルカやクジラを食用にしている一面だけを捉えがちですが、那智勝浦の人たちは、昔から運命共同体として、とても大切にしていることが、この施設を見学して、よく伝わってきました。
施設の一番奥にある水族館に行ってみました。
入口ではエイに触れることが出来ます。
大きな水槽を泳ぎまわるイルカたち。
とても充実した施設を見学できて大満足。
いつの間にか11時を回っています。
熊野三山詣、最後の一社である熊野那智大社に向かいます。
太地町立くじらの博物館で、この地域の人々のクジラとイルカとの関わりを学んだ後、再びバイクに跨り、熊野那智大社へハンドルを向けました。
県道46号線をどんどん上ると、右手に那智の滝が見えました。
参道下にバイクを止めて、石段を上ります。
黙々と石段を登ること5分。
一の鳥居が見えました。
もちろん世界遺産です。
更に石段を上ります。
二の鳥居が見えてきました。
もう、汗だくです。
本社社殿に辿り着きました。
振り返れば、ずいぶんと上がってきたのがわかります。
まずはお参り。
無事熊野三山詣が叶いました。
宝物殿。
八咫烏の八社殿。
熊野那智大社社伝に
「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」
と記録されています。
八咫烏といえば、私たちにはサッカー日本代表のエンブレムとして馴染み深いもの。
天然記念物、那智の樟(くす)。
樹齢800年と推定される、高さ27メートル、幹周り8.5メートルの大樹。
熊野三山造営の勅使として参った平重盛の手植えと伝えられています。
熊野那智大社に隣接する那智山青岸渡寺。
一千日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が、永延2年(988)に御幸され、西国三十三ヶ所第一番札所として定めたとされ、多くの信者や参詣者が全国から訪れています。
花山天皇といえば、今回の旅の最初に熊野古道中辺路で見た牛馬童子像のモデル。
こんなところで話が繋がりました。
振り返れば、 正面からは隠れて見えない熊野那智大社の本殿の社が見えます。
神仏混合の日本の宗教を象徴するようです。
如意輪観世音を祀る本堂は、天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残しています。
2004年7月には、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。
本堂後方には、那智の滝との調和が美しい朱色の三重の塔がそびえ立っていて、絶好のフォトスポット。
再び石段を下りて駐車場に戻りました。
熊野三山詣を終えた私は、今度は遙かなる大阪を目指さなければなりません。
那智熊野大社から大阪への帰路、再び新宮へ向かいます。
ちょうど、この日の17時から太地町方面に延伸する那智勝浦新宮道路の開通式の準備が進んでいました。
しかし、まだまだ和歌山県は広く、そして大阪からは遠い。
新宮駅の近くに、有名な徐福公園があります。
徐福は今から二千二百年ほど前、中国を統一した秦の始皇帝に仕え、その命により、東方海上の三神山にあるという不老不死の霊薬を求めて三千人の童男童女を引き連れ、この熊野に渡来したと伝えられています。
いわゆる「徐福伝説」です。
平成6年8月、「徐福の墓」を中心に極彩色豊かな中国風楼門を配した整備を行われ、「徐福公園」としてオープンしました。
徐福公園のシンボルとして、また徐福のイメージを鮮明にするために建立したこの徐福像は、優しく慈しみ深い表情を浮かべ、来園者を温かく迎えています。
高さ1.9メートル、重量1.5トンの御影石でできています。
徐福の墓。
墓碑は二段の台石の上に建っていて、高さ1.4メートル、幅50センチの緑色片岩で元文元年(1736)建立です。
墓碑は紀州藩祖徳川頼宜が儒臣の李梅溪に書かせたもの。
徐福一行は、この地に自生する「天台烏薬」という薬木を発見しましたが、気候温暖、風光明媚、更には土地の人々の暖かい友情に触れ、ついにこの地を永住の地と定め、土地を拓き、農耕、漁法、捕鯨、紙すき等の技術をこの地に伝えたと言われています。
不老の池には、七重臣にたとえた七匹の鯉が泳ぎ、石柱には七重臣が有していた七つの徳「和」「仁」「慈」「勇」「財」「調」「壮」が刻まれています。
不老の池は文字どおり「不老長寿」を得る泉です。
池の傍らには七本の天台烏薬が植えられ、その根本から生命の水がしたたり落ちています。
生命の水を受け、ゆっくりと泳ぐ七匹の鯉は、優雅さと生命の力強さを象徴しています。
新宮市民にとって、「徐福伝説」は身近なものなのです。
徐福公園と目と鼻の先の新宮駅。
駅前ロータリーに面して徐福寿司駅前店があります。
現在は営業していませんが、本店が徐福公園のすぐそばにあったことから、この名があるお店。
勝浦漁港でまぐろ尽くし朝ご飯を食べ過ぎて、ランチタイムでもお腹が空きません。
そこで、この店の名物さんま姿寿司をテイクアウトして、大阪に帰ったら、これをアテに一杯飲もうという計画です。
駅弁を意識したお持ち帰りがメインの店頭ディスプレイ。
しかし、店内は普通のお寿司屋さん。
カウンターと小上がりがあります。
さんま姿寿司だけを持ち帰ろうと思っていましたが、何やら旨そうな巻寿司がいっぱいあります。
ついつい欲が出て、四種類購入しました。
ちょっと買いすぎたかもしれませんが、ランチ抜きの晩ご飯ですからいいでしょう。
国道168号線を新宮川を遡るように走ります。
途中から県道230号線に折れて、高田の山中を目指します。
この山奥に、お湯が青みがかった淡い乳白色の温泉があります。
鮎釣りをする釣り人の姿が見えます。
20分ほどで着きました。
雲取温泉。
熊野那智大社の石段でかいた汗をここでさっぱりと洗い流そうと来たのです。
日帰り湯も可能な宿泊施設だけあって、山奥ながらも施設は立派です。
内湯の大浴場。
天台烏薬風呂という薬湯があります。
まさに徐福が発見したという、あの薬草です。
不老不死とは言わないまでも、浸かっていると、みるみる疲れが取れていきます。
露天風呂に行ってみました。
外は美しい高田川の渓流。
先ほど鮎釣りをしていたポイントの上流になります。
勢い良く流れ出る温泉の音以外、何も聞こえない静寂が、はるばる遠くに来たことを感じさせます。
確かに青味がかった乳白色の湯。
肌ざわりはとてもなめらかで、またまたお肌がツルツルになりそうです。
時計は15時を回りました。
ナビを見ると、ここから大阪の自宅まで4時間と出ています。
やはり、遠い。
熊野三山に別れを告げる前に、川湯温泉に立ち寄りました。
川底から絶えず湧き出す70度以上の源泉に、熊野川の支流大塔川が混ざり合い、程良い温泉が出来上がります。
冬は大な大露天風呂「仙人風呂」が作られるのですが、3年前に宿まで予約したのに積雪で行くことができず、涙をのんだ温泉です。
夏は川遊びで冷えた体を温めるのにもってこい。
そんな家族連れが河原にいました。
ここからは一気に大阪に向けて走ります。
国道311号線。
北へ分岐して国道424号線で有田へ。
来た時と同じルートですが、田辺から高速に乗るよりも、絶対このルートのほうが早くて快適だ、と新宮で会った地元のO君からも聞いたからです。
快適な二車線、ほとんど車がいないルートを快走し、有田ICから阪和自動車道へ入ります。
4時間を少し切る時間で大阪まで帰ってきました。
荷解きをして、シャワーを浴びて、ようやく晩ご飯。
本日の戦利品を食することにします。
手前が名物さんま姿寿司。
奥は昆布寿司と玉子巻き寿司。
熊野灘のさんまを丸ごと10日から1ヶ月の間塩漬けし、更に古座川の柚酢に漬けて風味付けしたもの。
保存食から発達した、1500年の歴史を持つ郷土料理。
海路以外の交流が困難であった時代の先人の知恵。
アタマとシッポもそのままです。
味は塩漬けの割には、さっぱりとしていて、パクパクと食べられます。
熊野三山にお供えした昆布を使って作ったのが始まりという昆布寿司。
大阪から仕入れた昆布やごぼう、かんぴょうをまぐろの出汁でじっくり煮上げ、旨みが凝縮されています。
玉子巻き寿司は「日本一のこだわり卵」というブランド卵を使用し、出汁だけでふっくらと焼き上げた玉子で巻いています。
巻芯は、昆布巻きの昆布を炊いた出汁を使い、かんぴょうとゴボウに旨みを含ませています。
全ての素材を無駄なく使うのは、食糧事情が厳しかった熊野の土地柄でもあるでしょう。
クジラやイルカの話を思い出しました。
熊野牛のり巻寿司と熊野牛昆布巻寿司。
和歌山県の高級和牛である熊野牛で当店自慢の巻芯ごぼうを包み、すき焼き風に味付けして、それを海苔と昆布の巻き寿司に仕上げたものです。
この店の寿司は、巻芯の具がとても美味。
贅沢な熊野牛を使いながらも、素朴な味わい。
郷土色を感じます。
いささか食べ過ぎましたが、今日はランチ抜きなので良しとしましょう。
遙かなる熊野三山詣と温泉巡りツーリングは、充実した二日間となりました。
道中無事故で帰ったこれたのも、神様の御加護。
どうも、ありがとうございました。
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